在りし日の久下冠水橋の記憶


皆様は、かつて熊谷を流れる荒川に「久下橋」という橋があったのを覚えているでしょうか?
と言っても、現在も「久下橋」という名前の橋は存在しています。
しかし、私が今から紹介したいのは、長さ1km以上もあるコンクリート製の立派な久下橋のことではなく、
2003年6月、新「久下橋」の完成とともに姿を消してしまった、全長300mの沈下橋としての久下橋のことです。
ますは、その久下冠水橋の写真からご覧下さい。



  これが在りし日の久下橋の姿です。もしかすると、生活の足に使っていたという人もいれば、 「21世紀の熊谷にこんな橋があったのか!」と驚く人も居るかもしれません。 意外に熊谷市内の人でも、久下橋から遠い地区の人になると この橋を一度も見たことが無いという人が多いようです。

  この橋は「生活の足」として利用者も多かったようです。しかし、橋が狭いので橋の上で車同士がすれ違える 場所は1ヶ所しかありませんでした。そのため、通勤時間帯にはお互い道を譲りながら片側交互通行するという 光景が毎日見られたようでいつしか「思いやり橋」という愛称で呼ばれるようにもなったようです。

  しかし、そんな久下橋も2003年の新久下橋の完成で「用無し」となり取り壊されたわけです。個人的には、 優雅に流れる荒川にマッチしたこの時代遅れの橋を取り壊してほしくはなかった。せめて、歩行者専用の橋として 残して欲しかった、と思うのです。

  実際、生活の足として利用する住民が多かった久下地区では取り壊しに反対した署名活動にまで至ったと言う 噂を耳にしたこともありますが、結局その願いは叶いませんでした。

  どうしても取り壊さなければならない一番の理由は、台風などで荒川が氾濫するたびに橋が損傷を受け、 その補修費用がバカにならないというものだったそうです。 橋が取り壊されたことは残念でなりませんが、在りし日の久下橋の姿をこれからも忘れることがないよう、 ここに過去に撮影した久下橋の写真を展示したいと思います。




●普段の久下橋
  普段の久下橋は通勤時間帯を除いて通過する車も少なく、とても静かな場所でした。 久下橋の下には荒川が雄大に流れ、橋の近くで釣りや水遊びをする人を多く見かけました。
  それにしても、橋が取り壊されたのはわずか6年前のことなのに、この写真を見ていると遠い昔の風景に 思えて仕方が無いです。それだけに、この時代遅れの橋は「癒し系の橋」として魅力的でした。




●荒川の氾濫と久下橋
  そんな久下橋も、ひとたび荒川が氾濫するとその度に大きな損傷を受け、補修が終わるまで1週間以上にわたって 通行止めになることも珍しくありませんでした。
  取り壊される前年の2002年も台風6号の直撃を受け、久下橋の上には大量の流木が残りました。さらにその3ヶ月後には 台風21号が直撃し、再び橋の欄干に損傷を受けたのです。




●そして別れの日
  そして2003年6月中旬、別れの日はやってきました。新久下橋完成と同時に旧久下橋は役目を終え閉鎖。 久下橋最後の日には、大勢の人が久下橋最後の姿を見たり、渡り納めをしようと押しかけていました。
  右上の写真は、開通当日の新久下橋…、全長1kmを超えるコンクリート製の大きな橋です。
  そして、左下の写真のように、新久下橋完成の日から旧久下橋取り壊しの日までの僅かの間だけ、 新久下橋から旧久下橋の姿を眺めることができました。




●消えた久下橋
  久下橋閉鎖からおよそ3ヵ月後にはいよいよ橋の取り壊しが始まり、 2004年元旦に久下橋を訪れた時にはもう橋のおよそ半分が取り壊されていました。
  そして今、旧久下橋は跡形も無く消え去りました。多分、何も知らない人が通りかかれば、かつてこの場所に橋があったことに 気付くことすらないでしょう。ただ、幸いなことに橋の跡地近くにかつてここに久下橋があったことを後世に残そうと 石碑が建てられていました。久下橋ファンとしては、石碑を通じてこの橋のことが多くの人の記憶に残るなら、 それはとても嬉しいことであると思います。


最後に余談ですが、私のハンドルネーム『クゲール』は、
もともと久下の冠水橋がお気に入りだったことから
「久下(くげ)」から文字ってつけたものでした。

久下橋よ、安らかに眠れ。







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