うちわ祭"平成・令和近代史" 1996-2019


  熊谷うちわ祭の発祥は今から400年以上前の16世紀頃(室町時代)のこととされており、 それから江戸時代には地区ごとに行われていた祭礼行事が町を挙げての夏祭りに変化、そして1891年には 最初の山車が登場、その後、各町が山車や屋台を次々と建造し今の山車祭りの形が出来上がったとされています。
  さて、このように時代とともに少しずつ形を変えてきた熊谷のお祭りは、山車や屋台が集まりお囃子を競い合う "曳き合わせ叩き合い"を名物とするスタイルが定着した戦後以降も年々変遷を遂げ、私がうちわ祭を追いかけるようになった ここ17年間を振り返っただけでも少しずつですが確実に形を変えているのを感じます。
  そこで、手元にある記録や写真から、1996年以降23年間の熊谷うちわ祭を"平成・令和近代史"として歴史を振り返っていこうと思います。 一部、記録と記憶があやふやな部分もあるので、万一内容に間違いがあったら御指摘頂けると嬉しいです。



 
●2018年 【年番町:銀座區】
  ◇伊勢町區の山車人形・上鉾完成
  前年(2017年)に山車の本体を新調した伊勢町区の上鉾と山車人形(弁天様)が完成し、正式な山車デビューとなった。これにより、最終日夜の曳き合わせ叩き合いでは初めてお祭り広場の南側で人形が上がる光景が見られることになった。
(写真:伊勢町區の山車人形"弁天様"とお祭り広場で人形を上げる伊勢町區の山車)

  ◇"史上最も暑い"うちわ祭で巡行祭縮小
  うちわ祭期間中の最高気温が3日間すべて37℃を上回る猛暑に見舞われ、史上最も暑いうちわ祭に。熱中症対策のため巡行祭では急遽折り返し地点が石原南交差点から本石北交差点に変更されるなど、 日中を中心に祭事の縮小を余儀なくされるなどの影響が生じた。
  なお、うちわ祭翌日の7月23日には熊谷で最高気温41.1℃が観測され、国内最高気温記録を奪還した。

(写真:気温36℃を示す巨大温度計/猛暑の取材に押しかけるテレビ局/予定を縮小して行われた巡行祭)

  ◇特殊パターンで行われた2日目夜の全町叩き合い
  2日目夜の巡行の中で、りそな銀行前では二重整列での全町叩き合い、八木橋前では熊谷寺に向かっての全町扇形叩き合い(例年とは逆向きの整列)が行われるなど、珍しいパターンの全町叩き合いが連続して行われた。
(写真:りそな銀行前での二重整列と八木橋前での扇形叩き合い)



●2017年 【年番町:筑波區】
  ◇伊勢町區の山車がデビュー、うちわ祭の山車が計7基に
  2016年までは屋台でうちわ祭に参加していた伊勢町區が山車を新造。熊谷うちわ祭で活躍する山車・屋台の新調は2012年の荒川區以来5年ぶり。 また、いわゆる「旧8ヶ町」以外の町區としては唯一の山車でうちわ祭に参加する町區となった。
  なお、2017年の段階では鉾や人形や幕が未完成で、鉾と人形が完成したのは翌2018年のこと。幕や彫刻の完成は2020年以降となる予定だ。

(写真:新造された伊勢町區の山車)

  ◇仲町區と第弐本町區の山車人形、筑波區の見送り幕など相次ぎ新調&披露目
  仲町區の山車人形(素戔嗚尊)、第弐本町區の山車人形(手力男之命)、筑波區の上段四方幕・下段三方幕がそれぞれ新調され、5月〜6月にかけてお披露目ラッシュを迎えた。
  中でも、仲町區の山車人形(素戔嗚尊)は昨年までのレンタル品から大きく姿を変え、昭和30年に山車が建造されて以来62年ぶりに自前の山車人形が上がる完成された姿となった。

(写真:それぞれ新調された山車人形や見送り幕)

  ◇渡御祭の「渡御復古」と巡行祭の「清祓いの義」が初めて行われる
  初日午前中の渡御祭にて、各町の氏子が自町内を通過する神輿を出迎えたり宮司や総代の隊列が神輿に随行する「渡御復古」が2017年のうちわ祭から行われるようになった。
  また、巡行祭の出発前に執り行われている神事「清祓いの義」もこの年初めて行われた。

(写真:渡御復古の風景と巡行祭前の清祓いの儀)



●2016年 【年番町:第弐本町區】
  ◇伊勢町區屋台引退・3年ぶりのアンダーパス越え
  昭和54年に建造されて以来、37年の歴史を持つ伊勢町區屋台がこの年のうちわ祭で引退(翌年のうちわ祭から、伊勢町區は山車でうちわ祭に参加)。 屋台最終巡行を記念して、2014年以降は中止されていた「アンダーパス越え」が3年ぶりに復活の復活し、最後の勇姿を飾った。
  伊勢町區の新しい山車は物理的にアンダーパスを潜ることができないため、今後うちわ祭でアンダーパス越えを見られる確率は極めて低いと思われる。

(写真:伊勢町區屋台最後の巡行と、一夜限りで復活したアンダーパス越え)

  ◇巡行祭で5年ぶりの全町扇形整列(21日)
  巡行祭の行宮参り後、全町の山車屋台が中家堂前交差点で扇形に整列。日中に山車屋台が扇形整列を する昼扇が組まれるのは2011年以来5年ぶりのことで、巡行祭最大の撮影ポイントとなった。
(写真:5年ぶりに行われた「昼扇」)


●2015年 【年番町:第壱本町區】
  ◇うちわ祭初日にも駅西通りでの長時間交通規制&露天出店(20日)
  うちわ祭の初日に史上初めて露店が出店(区域は駅西通りに限定)。また、露店出店と同時に駅西通りでは13時〜20時まで長時間の交通規制が敷かれた。 うちわ祭の初日に初叩き合いの時間帯以外に歩行者天国が行われるのも史上初となった。

  ◇「大うちわ」の復活、初叩き合いで受け渡し式(20日)
  昭和時代のうちわ祭で山車屋台を先導していたとされる「大うちわ」が40年ぶりに復活。初叩き合い前にティアラ前ロータリーで「大うちわ受け渡し式」が行われ、 受け渡し後は各町の山車屋台を大うちわが先導する形で巡行が行われた。
(写真:ティアラ前ロータリーで行われた大うちわ受け渡し式と、巡行祭での大うちわの先導)


●2014年 【年番町:仲町區】
  ◇2年ぶりに籠原本町屋台が巡行祭に参加(21日)
  籠原本町の屋台が2012年に続いて2年ぶりに巡行祭に特別参加。籠原本町屋台は八木橋前出発から銀座終点での叩き合いまで巡行祭全行程に参加し、巡行祭後には八木橋前の国道17号に屋台を停め置いた。 ただし、2年前と同様に夜の連続叩き合いには不参加。
 
(写真:2012年に続いて2年ぶりに巡行祭に参加した籠原本町區の屋台)


●2013年 【年番町:鎌倉區】
  ◇伊勢町區最後のアンダーパス越え(20日)
  伊勢町區屋台が初叩き合い後に5年連続で行ってきたアンダーパス越えがこの年のうちわ祭を以って終了。 荒川區と合わせると通算で9年間続いたアンダーパス越えの光景が見納めとなった。
 
(写真:最後のアンダーパス越えを行う伊勢町區の屋台)


●2012年 【年番町:荒川區】
  ◇荒川區山車がデビュー、うちわ祭の山車が計6基に
  昨年まで屋台でうちわ祭に参加していた荒川區が山車を新造。 熊谷うちわ祭で新しい山車がデビューするのは実に1994年の銀座區以来18年ぶりの出来事で、これでうちわ祭に参加する山車と 屋台のバランスは昨年までの山車5基:屋台7基から山車6基:屋台6基に変化した。
  なお、新造された荒川區山車はうちわ祭よりひと足早い6月17日の竣工報告祭にてお披露目され、 旧荒川區屋台は埼玉自動車学校の所有物として保存され、一線を退くことになった。

 
(写真:うちわ祭で上鉾を上げて巡行・叩き合いをする荒川區の山車)

  ◇巡行祭に籠原本町屋台が特別参加(21日)
  籠原本町の屋台が特別ゲストとして巡行祭に参加。過去を遡ってもうちわ祭への 参加町数が12ヶ町を超えたことはなく、巡行祭が計13ヶ町で構成されるという歴史的光景が実現した。
  また、籠原本町の屋台は駅南側の熊谷市民体育館より巡行を開始したため、巡行祭直前の正午頃には 籠原本町屋台が鎌倉町踏切を越える極めて貴重なシーンが見られた。

(写真:熊谷市内を巡行し、巡行祭の途中では叩き合いや行宮参りにも参加した籠原本町屋台)

  ◇石原・本石屋台が初の巡行祭全行程に参加(21日)
  同じく巡行祭で、例年は石原南交差点から途中合流している石原區・本石區の両屋台が、 八木橋前からの全行程参加した。
 
(写真:例年とは異なり、八木橋前から巡行祭に出発する石原・本石の屋台)

  ◇全日25℃未満、寒さに震えたうちわ祭
  うちわ祭初日の最高気温は21.1℃、中日は21.9℃、最終日は22.7℃で、1961年以降のうちわ祭としては 史上初めて祭礼期間中全日25℃を下回り、猛暑に襲われた2010年のうちわ祭とは対照的な天候となった。 また、7月21日に記録した最低気温16.8℃も、1961年以降のうちわ祭としては最も低い記録であり、寒さに震えながらの うちわ祭となった。
  なお、2012年の夏はうちわ祭終了2日後から観測史上最長の57日連続真夏日を記録するなど記録的猛暑に襲われており、 低温に見舞われたのはうちわ祭期間と重なる3日間だけであった。運が悪いとしか思えない。




●2011年 【年番町:弥生町區】
  ◇荒川區屋台引退・最後のアンダーパス越え(20日)
  64年の歴史を持つ荒川區屋台がこの年のうちわ祭で引退し、翌年のうちわ祭から新たに荒川區山車がデビュー。 また、荒川區が自ら歴史を築いた「アンダーパス越え」は山車では屋根高の関係上物理的に不可能となるため、 今年を以って屋台の歴史とともに終幕となり、翌年以降のうちわ祭は伊勢町區単独によるアンダーパス越えとなった。
 
(写真:荒川區最後のアンダーパス越えと22日夜自町へ戻る引退寸前の屋台)

  ◇荒川區屋台3度のアンダーパス越え
  荒川區屋台は最後のアンダーパス越えになるにあたり、例年の20日夜のアンダーパス越えに加え、21日昼の巡行祭後および 21日夜の叩き合い前にもアンダーパス越えを実行。1度の祭りで計3回のアンダーパス越えを行なった。
 
(写真:巡行祭後に行われた荒川區による白昼のアンダーパス越え)

  ◇お祭り広場での「直実節」演奏が復活(22日)
  2007年以来4年連続で途絶えてきた最終日のお祭り広場での「直実節」演奏が今年は復活。ただし、過去に行われていたような お囃子再開直前の演奏ではなく、お祭り広場で行われるセレモニーの一貫としての扱いで、広場中央の舞台では直実節の舞いが披露された。

  ◇史上初?うちわ祭に台風直撃!
  うちわ祭初日の7月20日午前、大型台風6号が四国に上陸。その後、台風は関東の南海上を東に進んだたため、うちわ祭初日は強い風雨に見舞われ、 初叩き合いのスケジュールも一部縮小されるなどの影響が発生した。少なくとも1980年以降では、うちわ祭期間中の台風が直撃するのは史上初の事態。
  なお、21日・22日には幸いにも台風一過の晴天となり、お祭りへの大きな影響は発生しなかった。

 
(写真:台風による風雨の中行われた初叩き合いと当日の天気図)


●2010年 【年番町:銀座區】
  ◇全日猛暑日、史上最強の暑さのうちわ祭
  うちわ祭初日の最高気温は36.8℃、中日は37.9℃、最終日は37.6℃で、戦後のうちわ祭としては 史上初めて祭礼期間中全日猛暑日を記録。三日間の平均最高気温も37℃を超え、うちわ祭史上最強の猛暑に襲われた。
(写真:うだる猛暑と夏空の昼巡行)


●2009年 【年番町:筑波區】
  ◇伊勢町區、初のアンダーパス越え(20日)
  2005年にアンダーパス越えに初挑戦した荒川區に続き、今年から伊勢町區屋台も参戦開始。これでアンダーパス越えは 荒川區屋台と伊勢町區屋台の二ヶ町体制となり、両町がアンダーパスを越える20日午後8時過ぎには現場周辺に多くの観光客と見物人が集まった。
 
(写真:伊勢町區屋台初めてのアンダーパス越え)

  ◇初叩き合いの駅前通り入場で纏振りの先導始まる(20日)
  初叩き合い開始前、山車屋台の駅前通りを先導する形で、全町の鳶衆による纏振りの行進が行われるようになった。 この企画は2010年のうちわ祭でも行われており、今後も長年継続することになるのかは不明。
 
(写真:鳶衆による全町一斉の纏振りとその後の山車屋台入場)


●2008年 【年番町:第弐本町區】
  ◇巡行祭で「ウエルフェア会場」の開設始まる(21日)
  巡行祭中の国道17号上(行宮とマロウドインの中間付近)に「ウエルフェア会場」を設置する試みが始まり、 高齢者や障害者を中心に多くの招待客が巡行する山車屋台を間近で見物できるようになった。翌2009年にはウェルフェア会場の前で 叩き合いも行われた。ウエルフェアとは"福祉事業"の意味。
 
(写真:開設されたウエルフェア会場と2009年に行われた会場前での叩き合い)


●2007年 【年番町:第壱本町區】
  ◇お祭り広場御囃子再開前の「直実節」が消滅(22日)
  最終日夜のお祭り広場、年番送り後のお囃子再開時に毎年恒例となっていた「直実節」の放送が今年から消滅。 昨年までは、直実節の一番が終わると年番町がお囃子を再開→直実節の二番をBGMに年番町のお囃子ソロ演奏→大総代の合図で 全町がお囃子再開の流れが恒例だった。

  ◇山車・屋台位置情報システムが稼働開始
  立正大学と株式会社ユビキタスの協力により、GPSによる山車・屋台位置情報システムが稼働。お祭り期間中は うちわ祭公式HPで山車・屋台の位置情報が公開され、いつどこにいても山車・屋台の位置をリアルタイムで確認することが可能となった。
(写真:駅コンコースで公開される山車屋台位置情報)


●2006年 【年番町:仲町區】
  ◇巡行祭途上、石原・本石區内での全町叩き合いが消滅(21日)
  2001年から5年間連続で行われてきた巡行祭中の石原・本石付近(巡行祭折返し地点近辺)での全町叩き合いが今年は消滅。 しかし、消滅は1年限りで2007年から復活し、この年のみの消滅だった。

  ◇中日夜巡行で石原・本石區内に7ヶ町が集結(21日)
  例年は半数以上の山車屋台が八木橋以東(本町・筑波方面)の国道17号上に集結する中日夜の巡行だが、2006年は八木橋以西(石原・本石區内)の 国道17号上に7ヶ町(仲町・石原・本石・鎌倉・桜町・荒川・伊勢町)が集結。例年とは大きく異なる中日夜の巡行風景となった。
(写真:石原・本石區内に集合した7ヶ町の山車屋台。仲町區の山車は鉾を上げての巡行。)


●2005年 【年番町:鎌倉區】
  ◇荒川區による初のアンダーパス越え(20日)
  初叩き合いの帰路で荒川區が初めてアンダーパス(市役所通りの高崎線地下トンネル)越えに挑戦し成功。前例のない試みに"厳戒態勢"の中、 荒川區屋台は約10分間をかけてアンダーパスを越え、以降初叩き合いと並ぶ初日最大の見どころとして定着していった。
(写真:前例のないアンダーパス越えに挑戦し見事成功した荒川區屋台)

  ◇初叩き合いがティアラ前と駅北口の2ヶ所に(20日)
  熊谷駅東側に新商業施設"ティアラ21"が完成したのにともない、初叩き合いの会場がティアラ前と駅北口の2ヶ所に拡大。 2005年を境に初叩き合いは"駅前通り進行→駅東通りを東へ→ティアラ21前で叩き合い→駅東通りを西へ→熊谷駅北口で叩き合い"という流れに大きく変化した。
 
(写真:ティアラ前の熊谷駅東口に集合した全12ヶ町の山車屋台)


●2004年 【年番町:荒川區】
  ◇うちわ祭史上最も暑かった日、最高気温39.2℃の昼巡行(20日)
  うちわ祭初日、早朝の渡御発輿祭の段階で既に気温30℃突破。そして昼巡行の最中に最高気温39.2℃を記録し、猛暑の街として知られる 熊谷としても異例の高温に。戦後のうちわ祭史上最悪の猛暑に襲われ、お祭り期間中の最高気温としては2010年現在破られていない。


●2003年 【年番町:弥生町區】


●2002年 【年番町:銀座區】
  ◇初の地囃子競演(地囃子合わせ)行われる(21日)
  巡行祭の途中、行宮に向かっての山車屋台整列時に、うちわ史上初めて全町による"地囃子競演"が行われた。地囃子競演とは、 集合した全ての山車屋台が一斉に同じリズムでお囃子を行うことで、それぞれが個々のお囃子を激しく競い合う"叩き合い"とは対照的な試み。
  地囃子競演(地囃子合わせ)は以後毎年場所・時間を変えつつもうちわ祭期間中に1回以上必ず行われるようになり、2008年には遂に 最終日お祭り広場のお囃子再開時に催された。



●2001年 【年番町:筑波區】
  ◇巡行祭途上、石原・本石區内で初の全町叩き合い(21日)
  巡行祭の前半、旧水戸屋前交差点での折返し後に石原・本石區内で叩き合いが催された。2000年以前の巡行祭は八木橋以西の では山車屋台の折返しと通過のみだったが、この年を境に石原・本石區内でも全町による叩き合いが行われるようになった。
 
(写真:石原の折返し地点付近の叩き合い ※但し、写真は2002年以降のもの)


●2000年 【年番町:第弐本町區】
  ◇「初叩き合い」で初めて全12ヶ町が勢揃い、完全交通規制もスタート(20日)
  初叩き合いに前年は不参加だった3ヶ町が今年は加わり、初叩き合いでも全12ヶ町の山車屋台が勢揃いとなった。 また、昨年はバスのみ進入を許可していた北口ロータリーと駅前通りは今年からバスも含め規制を行う完全交通規制(歩行者天国)に移行。
(写真:初めて全町勢揃いとなった2000年の初叩き合い)


●1999年 【年番町:第壱本町區】
  ◇駅北口前での「初叩き合い」始まる(20日)
  うちわ祭初日夜に山車屋台が熊谷駅北口周辺に集合する「初叩き合い」がスタート。「祭初日は町内と隣接町内巡行のみ」 という長年の慣例が大きく変化し、初日の観光客向けイベントととして以後定着した。
  ただし、初実施の1999年に限り、初叩き合いに参加したのは9ヶ町のみで、会場から遠い石原區・桜町區・伊勢町區は不参加だった。 また、ロータリー内はバスとタクシーのみ通行を許可され、完全交通規制(歩行者天国)は実施されず。

 
(写真:9ヶ町の山車屋台が集まった史上初の初叩き合い)

  ◇大雷雨の中での巡行祭(21日)
  巡行祭の中盤から降り出した雨は、終盤にかけて大雷雨に。最後は稲妻の中の巡行祭となり、近年のうちわ祭の中では 稀な大雷雨に見舞われた。なお、翌22日の夕方も激しい雷雨に見舞われたが、幸いにもお祭り広場の曳き合わせの寸前に天気は回復、 2年連続の大雨の年番送りは免れた。
 
(写真:激しい雷雨となり、観光客も疎らとなった巡行祭終盤)

  ◇市役所通り立体交差(アンダーパス)完成、新生お祭り広場誕生
  この年の3月に約三年間に及ぶ市役所通りの工事が終了、市役所通り立体交差(アンダーパス)が完成した。 お祭り広場周辺の市役所通りは山車・屋台が巡行しやすいよう、「お祭り期間中のみ格納可能な中央分離帯」や「交通規制中は角度を変えられる信号機」など、 うちわ祭を前提とした道路に生まれ変わった。


●1998年 【年番町:仲町區】
  ◇大雨の中でのお祭り広場曳き合わせ&年番送り(22日)
  最終日夜のお祭り広場の曳き合わせ叩き合いで激しい雨。年番送りも土砂降りの雨の中で行われ、ここ15年間の年番送りの中では 最悪の天候に見舞われた。
(写真:土砂降りの雨の中をお祭り広場へ)


●1997年 【年番町:鎌倉區】


●1996年 【年番町:荒川區】
  ◇旧お祭り広場最後の曳き合わせ&年番送り(22日)
  市役所通りのアンダーパス化工事着工前最後のうちわ祭。工事前のお祭り広場は中央分離帯が非常に広く、現在のお祭り広場ほど 山車屋台同士が接近して叩き合いを行うことはできなかった。また、来賓用桟敷席の位置も現在とは異なり、市役所通りの中央分離帯上に設けられていた。
(写真:旧お祭り広場の風景)

  ◇お祭り広場入場前の中家堂前全町叩き合い始まる(22日)
  最終日夜のお祭り広場での曳き合わせ叩き合い前に行われる中家堂前(国道17号と市役所通りの交差点)での全町叩き合いが この年からスタート。1995年以前は、山車屋台は市街地の各所路地で数グループに分かれ叩き合いを行った後、国道17号に集まることなく東西南北 それぞれの方向からダイレクトにお祭り広場に入場していた。

 




【資料1】 初日「初叩き合い」の変遷
初日夜に行われる初叩き合いの流れの変遷です
駅前通りへの入場
ティアラ前叩き合い
熊谷駅北口叩き合い
解散後の流れ
参加
町数
駅北口周辺の交通規制
2019纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2018纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2017纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2016纏振りを先頭に入場ティアラ前ロータリーを囲んで叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2015纏振りを先頭に入場ティアラ前ロータリーを囲んで叩き合い
(叩き合い前に大うちわ受け渡し式)
ロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2014纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2013纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合い
(但し、時間切れにより全町揃わず)
ロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2012纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2011山車屋台のみで入場なし(台風接近により急遽中止)ロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2010纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い解散後3ヶ所で4ヶ町ずつ叩き合い12全面規制
2009纏振りを先頭に入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い解散後3ヶ所で4ヶ町ずつ叩き合い12全面規制
2008山車屋台のみで入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2007山車屋台のみで入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合いロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い
(年番町挨拶後は地囃子合わせ)
自然解散12全面規制
2006山車屋台のみで入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合い駅前通り上で駅に向かって叩き合い自然解散12全面規制
2005山車屋台のみで入場駅東通り上でティアラに向かい叩き合い駅前通り上で駅に向かって叩き合い自然解散12全面規制
2004山車屋台のみで入場なしロータリー中央部で駅に向かって叩き合い自然解散12全面規制
2003山車屋台のみで入場なしロータリー中央部で駅に向かって叩き合い自然解散12全面規制
2002山車屋台のみで入場なしロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2001山車屋台のみで入場なしロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
2000山車屋台のみで入場なしロータリー最奥部で駅に背を向け叩き合い自然解散12全面規制
1999山車屋台のみで入場なしロータリー中央部で駅に向かって叩き合い自然解散9バス・タクシーのみ進入可能
1998(町内巡行の一部)なしロータリー中央部で駅に向かって叩き合い自然解散5なし
※「初叩き合い」が始まった1999年以前も町内・隣接町内巡行の中で初日の夜に数ヶ町が熊谷駅北口にて叩き合いを行っていたが、観光客向けのイベントではなかった




【資料2】 中日「巡行祭」の変遷
中日昼間に行われる巡行祭の流れの変遷です
集合
本石・石原區内
八木橋〜行宮周辺
解散
その他(備考)
2019弥生町通りと鎌倉町通りの交差点に10ヶ町叩き合いなし行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い
年番町挨拶後、地囃子合わせ
巡行祭開始時に清祓いの儀
一部、四列巡行
2018八木橋前6ヶ町、鎌倉町に4ヶ町叩き合いなし行宮参り後に行宮前で奉納囃子(横一列)東京ガス前で叩き合い巡行祭開始時に清祓いの儀
一列巡行
2017八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ叩き合いなし行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い巡行祭開始時に清祓いの儀
2016八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ折返し後、イオン前で叩き合い行宮参り後に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い一部、四列巡行
2015八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ叩き合いなし叩き合いなし東京ガス前で叩き合い一列巡行
2014八木橋前と鎌倉町に5〜6ヶ町ずつ叩き合いなし叩き合いなし東京ガス前で叩き合い※籠原本町屋台が特別参加
2013星川通りに12ヶ町折返し後、本石付近で叩き合い(全町揃わず)叩き合いなし東京ガス前で叩き合い
年番町挨拶後、地囃子合わせ
 
2012鎌倉町通りに13ヶ町石原南交差点(折返し地点)で叩き合い叩き合いなし東京ガス前で叩き合い※籠原本町屋台が特別参加
※石原・本石両屋台も鎌倉町に集合
2011弥生町内に10ヶ町折返し後、サティ前で叩き合い行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い 
2010八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ石原南交差点(折返し地点)で叩き合い行宮参り後に行宮前で叩き合い(扇形)
叩き合い小休止後、地囃子合わせ
東京ガス前で叩き合い一列巡行
2009八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ折返し後、本石北交差点で叩き合いウエルフェア会場前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い 
2008八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ折返し後、本石南交差点で叩き合い叩き合いなし東京ガス前で叩き合い
年番町挨拶後、地囃子合わせ
 
2007八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ折返し後、本石南交差点で叩き合い叩き合いなし東京ガス前で叩き合い※行宮参りの際、各町の紹介アナウンス
2006八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ叩き合いなし叩き合いなし東京ガス前で地囃子合わせ 
2005鎌倉町通りに10ヶ町折返し後、本石北交差点で叩き合い行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で地囃子合わせ 
2004鎌倉町通りに10ヶ町折返し後、本石北交差点で叩き合い行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で地囃子合わせ 
2003弥生町内に10ヶ町折返し後、本石北交差点で叩き合い叩き合いなし東京ガス前で叩き合い 
2002八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ石原南交差点(折返し地点)で叩き合い行宮参り後に行宮前で地囃子合わせ(扇形)東京ガス前で叩き合い一列巡行
2001八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ本石・石原區内で叩き合い(詳細不明)行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い 
2000八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ叩き合いなし行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い 
1999八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ叩き合いなし行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い 
1998八木橋前と鎌倉町に5ヶ町ずつ叩き合いなし行宮参り前に中家堂前で叩き合い(扇形)東京ガス前で叩き合い※解散後、駅北口で4ヶ町が叩き合い
1997鎌倉町通りに10ヶ町叩き合いなし<不明>東京ガス前で叩き合い 
1996鎌倉町通りに10ヶ町叩き合いなし<不明>東京ガス前で叩き合い 




【おまけ】 うちわ祭見学履歴
自身のうちわ祭り見学の履歴です。
赤が全部見学、黄色は一部見学、白は不在
7月20日
7月21日
7月22日
渡御祭昼巡行初叩合夜巡行巡行祭夜巡行昼巡行夜巡行祭広場還御祭
2019          
2018          
2017          
2016          
2015          
2014          
2013          
2012          
2011          
2010          
2009          
2008          
2007          
2006          
2005          
2004          
2003          
2002          
2001          
2000          
1999          
1998         
1997         
1996         
1995         
1994         
 



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